仮夢庵CarimAn

ドラマ『陳情令』についてアレコレ

【藍曦臣 後譚】SS

人物項 藍曦臣を書いたオマケのSS。

 

【注意】
自分用二次。転載禁止。
ネタバレあり。
BL風味あり。
閲覧は自己責任で。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「少し休もうか。」

 

コトリと筆を置くと、藍曦臣は傍らの藍忘機に声をかけた。大きな執務卓の上には姑蘇藍氏の管轄する地域からの訴状や夜狩りの礼状など、まだいくつか確認が必要なものがあったが、急を要するものではない。
「茶を淹れます。」藍忘機は即座に応えて隣室の低い卓へ向かう。兄の疲れた様子が気にかかっていた。今日は特に難しい決裁があったわけではない。以前の澤蕪君ならばすべてまとめて終わらせる程の量である。
あの観音殿の一件のあとしばらく寝ついた兄だったが、今では姑蘇藍氏宗主として日常の執務はこなしている。実際、混乱した仙修界では細々とした机上の執務も増え、主に澤蕪君がそちらを、実際に出向く夜狩りや各世家との協議は含光君が担当する、という暗黙の了解ができていた。徐々にではあるが各世家にもここ雲深不知処にも秩序が戻りつつある。
けれど藍忘機が帰着の報告のため兄を探す時、ぼんやりと回廊の端に立っていたり、自室の琴を黙って静かに撫でている、そんな姿を幾度となく目にするようになっていた。寝ついていた時よりかえって兄の物思いは深くなっているのかもしれない。
藍忘機にはひとつ藍曦臣に伝えなければいけないことがあるのだが、どう切り出したものかとシュンシュンと出始めた湯気を見ながら考える。ふいにふーっと息をつき執務卓の前に座っていた藍曦臣が立ち上がった。

「墨の薫りに酔ったかな。風にあたってくるよ。」

弟が茶を淹れるのを待たず、藍曦臣は部屋を後にした。


外廊下へ出るとすでに陽は傾き、かすかに夕餉の菜の匂いが風に運ばれてくる。夜狩りに出かける者たちが早めの食事をとっているのかもしれない。藍忘機が執務室に残っているということは、今日の怪異はそれほど剣呑ではないと判断したのだろう。最近は藍思追たち若い子弟もだいぶ頼もしくなった。弟は自身が優れた仙師であると同時に良い師でもあるようだ。
実際、忘機が夜狩りや子弟の鍛練だけでなく外との折衝一切を引き受けてくれているのは藍曦臣にはありがたかった。
あれからなんとか宗主としての体裁を調え日々勤めてはいるが、時が自分の表面だけを上滑りして過ぎていくようなそんな気がする。このままで良いはずがない。それはわかっているのだが…。身体にはもとより傷もなく霊識を損なったわけでもない。そんな自分には医室の処方する丹薬もあまり効果がないようだ。

 

チャプ…ン……。

中庭の池に小さな波紋が広がる。

「二兄さま。見て。蛙ですよ。」

声が聞こえた気がしてハッと辺りを見回した。
誰もいない。いるはずがないのだ。ここでそんな風に自分を呼ぶ者はもうどこにもいないのだから。

それでも面影は雲深不知処のあちらこちらに残っている。回廊を曲がって歩いてくる姿。風に翻る大振りな袖。蔵書閣で書を繰り墨をする指先と真剣な横顔。琴の上達を褒めた時のはにかむような微笑み。片頬のえくぼ。黒目がちの大きな瞳。二兄さまと呼ぶ静かな声。

それを懐かしいと思えるだけの時はまだ経っていない。むしろ いくら時が経とうと彼を懐かしい慕わしいと思うことなど自分には許されない気がしてならない。
結局 思いはいつも彼の最期の言葉へと行き着いて藍曦臣の眉間を歪ませる。
荒い息の中 絞り出すように言ったあのひと言。

「二兄さま 一緒に死んでください」

 

諾と。
それでいいと思った あの時。

けれど固く目を閉じたその覚悟は当の相手に裏切られた。一瞬何が起きたのかわからなかった。気がつけば誰かに支えられ、観音殿の外にいた。肩の鈍い痛みで突き飛ばされたのだと理解するまでしばらく呆としていた。


あの時自分はどうしたらよかったのか。嫌だと 離せと抗えば、私も一緒に連れていったのか阿瑶?なぜ私は確かめもせずにお前を剣で貫いた?お前はなぜそれを更に深く自ら胸に沈めた?なぜあの時私は目を閉じた?なぜお前は私を救った?なぜ阿瑶?なぜ…?
答えの出ない問いが頭の中で渦をまく。どうしようもない嫌な苦さがこみ上げてくる。もっと早く何かできなかったのか。あれほど近くにいながらなぜ気づかなかった。彼を救う術はなかったのか。私には本当に何も…。
眩暈がする。自分が今立っている場所もわからない。ここはあの日の観音殿か。それとも彼と過ごした他のどこかなのか。

 


「兄上…」


声に目を開くと、そこは雲深不知処の見慣れた外廊下。藍忘機の心配そうな顔が覗いていた。
そんな表情をするようになるとは、この弟も大人になったものだ。魏無羨に会ってからはよく見せていた顔だがまさか自分に向けられることになるとは。心の中で小さく苦笑して大丈夫だと告げ、知らずに凭れていた柱から体を起こす。そうは見えないのだろう。忘機が腕を支えてくる。支えてくれる手の確かさをありがたいと思いながら、その支えがなかったであろう者をまた思い出す。支えとなっているつもりだった自分の愚かしさが悔やまれる。ダメだ。また堂々巡り、振り払おうといくら首を振っても同じ思考の繰返しだ。

 

自室の牀榻に横になるまで兄を支え、藍忘機は置いてあった兄の琴でしばらく清心音を奏でていた。もう落ち着いたからと藍曦臣が声をかけると「残りの執務は私が。今日はこのままもう少しお休みください。」と言って出ていこうとしたが、扉の前で振り返りさりげない様子でこう言葉を足した。「魏嬰が戻ります。昨日便りが。もし…」最後はいいよどんでけっきょく続けず、そのまま静かに拱手して出ていった。


慣れた牀でひとつ大きく吐息をつき、藍曦臣は先ほどまでの自分の憂いとは別のことを考えていた。
無意識だろうが忘機は「戻る」と言った。あの件以来、独りで遊歴していた魏無羨が戻ると。旅の途中で立ち寄るというわけではなさそうだ。ならば、「もし…」のあとは「魏嬰が望むなら彼を雲深不知処に置いて欲しい。」そんなところだろう。
即座ににかまわないよと言える頼みではなかった。誤解が解けたとは言え夷陵老師魏無羨を姑蘇藍氏の客卿とすることがどんな軋轢を生むのか。たとえ藍氏宗主の自分でも独断で許可できる問題とは思えない。だから忘機も言葉を呑み込んだのだ。
だが…藍曦臣は考える。この十数年、あの弟がどれほど彼を探し求め共にありたいと望んでいたか。その想いを間近で見てきた兄としては今度こそ叶えてやりたい。
藍曦臣は魏無羨の人懐こい笑顔を思い出していた。
藍忘機の知己であるだけでなく、魏公子のことは藍氏の座学に参加していた頃からよく知っている。自由奔放勝手気儘にみえて実はとても細やかな優しい人柄だということ、不器用なその正義は我が弟と良い勝負だということ、そしてなによりその弟の表情を少しだが豊かにしてくれるのは彼だけだということも。

ふと魏無羨のことを考えている自分の口元が綻んでいるのに気づいてさらに笑みが拡がった。あの者ならばどんな問題もなんとかなるのではないか。ただし師叔藍啓仁の頭痛の種と藍氏家規はまた増えることになりそうだ。思わずフフと声が出た。
声を出して笑える自分に驚き、観音殿以来笑っていなかったことに気づく。するとなぜかさらに笑えてきて終には涙が出てきた。そうだ阿瑶とも声をあげて笑い合ったことがあったな。
そう考えて初めて藍曦臣は金光瑶のために泣いた。
泣く資格などあるのか、彼を悼んで泣くことなど許されるのかと、無意識に自分に枷をかけていたような気がする。だが魏無羨の笑顔を思った時、なぜかそれでも泣いていいのだと、彼の死をその生き様を悲しんでいいのだと思えて藍曦臣は声をあげて泣いた。涙はいつまでも頬と覆った手を濡らし、その口からは嗚咽がとまらなかった。
そうして泣きながら、藍曦臣は久方ぶりの深い眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

cariman.hatenablog.com

 

cariman.hatenablog.com